高幡と土方歳三
高幡と土方歳三について

新選組土方歳三の菩提寺高幡山金剛寺には、近藤勇・土方歳三両雄の碑や、土方歳三の銅像、又大日堂には土方歳三の位牌や新選組隊士慰霊の大位牌等、更に奥殿では歳三の書簡ほか多くの新選組資料が展示されています。

【土方歳三】
天保6年(1835年)~明治2年(1869年)
武州多摩郡日野宿石田村生まれ。
土方義諄の末子で、名は義豊。
生前父は死去。次兄・喜六夫妻の手で養育された。
丁稚奉公を経て、家伝の石田散薬行商の傍ら、
義兄・佐藤彦五郎宅の道場で天然理心流の剣を学び、
後に試衛館に寄食。
文久3年、近藤勇らと共に上洛、新選組副長として活躍。
慶応4年、負傷した近藤に代わり、新選組を指揮して
鳥羽・伏見の地で戦う。帰東後、甲陽鎮撫隊を結成。
近藤の刑死後も奥羽各地で転戦。
旧幕軍の箱館政府樹立後は陸軍奉行並となる。
明治2年5月11日、箱館攻防戦の最中、
流弾にたおれた。
土方歳三像

【土方歳三像】

年表
1834年(天保5) 近藤勇、上石原村(現在調布市)宮川久次郎の三男に生まれる。
幼名を勝太。
1835年(天保6) 十月、土方歳三、石田村(現在日野市石田)土方隼人義諄の
四男に生まれる。
1844年(弘化元) 沖田総司生まれる(天保13年の説もある)。
1858年(安政5) 天然理心流佐藤道場一統、鎮守牛頭天王社(現在の八坂神社)へ奉額。
1859年(安政6) 土方歳三、天然理心流入門。
1861年(文久元) 近藤勇、天然理心流四代目を継ぐ。
1863年(文久3) 2/8 浪士組、江戸を出発、中山道を京へ向かう。
2/23 京都に着く。
3/12 近藤、土方ら京都に残留し、守護職預りとなる。
8/18 政変、御所警備に出動し、正式に京都市中取締り新撰組となる。
1864年(元治元) 6/5 古高俊太郎を捕える。古高の自白により、池田屋事件起きる。
7/19 蛤御門の戦い。
7/20 山崎天王山の戦い。
8/2 第一次長州征令下る。
9/ 近藤勇、隊士募集のため江戸へ向かう。
1865年(慶応元) 4/ 西本願寺へ屯所を移転。
11/4 近藤勇、広島へ出張。
1866年(慶応2) 9/12 三条高礼事件。
1867年(慶応3) 3/ 伊東甲子太郎ら新選組を離脱。
9/ 土方歳三、隊士募集に江戸へ下る。
10/14 大政奉還。
11/18 油小路事件。
12/7 天満屋事件。
12/9 王政復古の号下る。
12/16 伏見奉行所警備につく。
12/18 近藤勇、墨染の難。
1868年(明治元) 1/3 鳥羽伏見にて開戦。
1/4 井上源三郎戦死。
1/12 軍艦富士山丸にて大阪出港、江戸へ向かう。
1/15 品川上陸。
3/1 新選組、甲陽鎮撫隊として甲府城へ向けて、江戸を出発。
3/3 日野佐藤家にて休憩、日野農兵「春日隊」を編成し、同行する。
3/6 勝沼の戦い。
4/3 流山に屯集中の近藤勇、官軍陣所へ出頭。
4/23 土方歳三、宇都宮方面の戦闘で負傷。
4/25 近藤勇、板橋にて処刑される。
5/30 沖田総司、千駄ヶ谷にて病死。
8/21 会津母成峠の戦い。
8/ 土方歳三、仙台へ向かう。
10/12 仙台出港。
10/20 北海道鷲ノ木に上陸。
10/26 五稜郭入城。
1869年(明治2) 4/9 官軍上陸。
4/12 二股の戦い。
4/29 五稜郭へ帰還。
5/6 宮古湾海戦。土方歳三、楊洲周延、回天乗船。
5/11 一本木より出撃の土方歳三、銃弾を受け戦死。
5/18 五稜郭開城。
ご案内
高幡山金剛寺
〒191-0031
東京都日野市高幡733【MAP
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FAX 042-593-3038
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